
【理由はなくてもイタリアが好き♡】
ご訪問ありがとうございます、イタリア旅ライターのEtsukoです。
ここでは、ちょっと穴場な観光スポットをご紹介しています。
旅のご参考になりましたら嬉しいです。
*記事内の文章と写真の転用を禁じます。
あれは、いつだったのだろう?上空からの八角形の城を見かけたのは。
丘の上にたった一つ、ポツンと建立された城が、妙に印象的で。
どこで見たのか今となっては記憶も定かでないけれど、
写真で見て以来「いつかこの目で見てみたい」という思いは数年来消えず。
その城の名は、カステル・デル・モンテ(Castel del Monte)。
南イタリア、プーリア州に13世紀に造られた平原に建てられた城。

Castel del Monte 全景
プーリア州の平原、カステル・デル・モンテへの道のり
カステル・デル・モンテへの 移動は車にて。
北イタリアから、カステル・デル・モンテのあるアンドリア市郊外へは
車で移動すること7時間の長旅。そんな長く車で?と驚かれるかもしれないが、
南イタリアの観光名所は、公共の交通機関でのアクセスがよくないことと、
名所と名所が離れているため、車での移動が結局のところ一番効率が良いのです。
個人の観光旅行では、 レンタカーまたはドライバー付きでの周遊プランを
お願いするのがいいでしょう。
移動ルートは、海岸沿いに南下。
エミリア・ロマーニャ州→マルケ州→アブルッツォ州→モリーゼ州→プーリア州へ。
緑豊かな風景から、プーリア州へ入った途端、景色は急に様変わり。

プーリア州の平原
以前、ローマからレッチェまで電車移動した時には気づかなかった(見なかった)風景が
その後ひたすら続くことに。
車を走らせど、走らせど、緑の木々は見えてこず。
平坦で、乾いた赤茶色の大地だけがずっとずっと続いているのです。

プーリア州 カステル・デル・モンテへの道
赤茶色の野漠に、ポツン、ポツンと見えるオリーブの木。
プーリア州は、イタリア国内においてオリーブ・オイルの最大の産地と言われる意味が、
この大地を見て納得。
オリーブの木は、どんなに乾いたやせた大地にも根を張り実をつけるという。
まさにこの土地に、適した木はオリーブ。
そんなことを思いながら、
「本当にこの乾いた大地に、13世紀にお城が建設されたのだろうか」
この風景を見ればおそらく誰もが 湧きあがる疑問。
平原に突如姿を現す、世界遺産の孤高の城
プーリア州へ入り、世界遺産のカステル・デル・モンテがあるアンドリア市郊外へ向かう。
町や村、人が住んでいる形跡がない 乾燥した大地を200キロ近く車で走り。
ほんの少し小高い丘が見えたところで、突如姿を現した「カステル・デル・モンテ」。

突如姿を現す、カステル・デル・モンテ
周りには何もなく。
本当に一切他の建物は見当たらず、ポツンと丘の上に。
不思議さが増して、その孤高の城を見つめてしまったのでした。
一体どうしてこんな人の気配もない、この野漠に建てられたのだろう?と。
悠久の時を超え、威風堂々とした威厳さえ感じさせる孤高の城。

カステル・デル・モンテ 目印の看板
名君フェデリコ2世が建立、黄金比の八角形の城
カステル・デル・モンテを建てたのは当時の神聖ローマ帝国皇帝のフェデリコ2世。
1240年~1250年頃に建立されたという、八角形の城は謎だらけ。
名君と言われるフェデリコ2世は、 シチリアのパレルモ育ちで
ギリシャ語、ラテン語、アラビア語等の6か国語を話し、 天文学や自然科学に長けていたとのこと。イスラム文化とビザンティン文化が織りなすシチリアで育ったフェデリコ2世は、イスラム文化への造詣も深ったと。(キリスト教世界では異端児的な存在でもあったとの説も)
★ナポリ大学の創始者
なお、フェデリコ2世は神聖ローマ帝国皇帝の他に、1224年設立のナポリ大学の創設者としての顔を持つ人物でもあるのです。ナポリ大学の正式名称は、
Università degli Studi di Napoli Federico II(フェデリコ2世 ナポリ大学)です。

八角形の城
城へと続く道を上り切ると、目の前には均整のとれた美しい八角形。
その周りを一周すると、正確な円の中にすっぽりと城があることを実感するでしょう。

城の周り

城からの風景
入り口から、城の中へ入るとすぐに「中庭の八角形」に突き当たります。
この中庭には不思議なことがあり、
春分の日と、秋分の日の正午に城の影が中庭の「八角形」の一つの辺に重なるのです。
「8」にまつわる話として。
キリスト教では「8」は、キリストが亡くなって8日目に復活した日の数で、
イスラム教では「8」は吉数なのだとそう。

カステル・デル・モンテ 中庭

内部からの天井風景
内部へ入ると、それぞれ部屋(塔)の角の先には「八角形の塔」があります。
この城を建てるにあたり、 フェデリコ2世は、
天文学、数学を正確に用いて八角形の黄金比率を取り込んだと言われています。
まさに「8」にこだわりぬいた城。

カステル・デル・モンテ 内部の壁
鷹狩のための城?
城内部の見学を進めていくと、「居城」ではないことに気づきます。
左回りに進むこの城は、内部を見れば見るほど不思議さが増していきます。

カステル・デル・モンテ らせん状の階段
なぜなら住むための居住スペース、厨房施設もない、イタリアの他の城で見られるような籠城のためのお堀も、貯蔵室も、軍事的要素がないのです。
つまり、戦うために造ったとはとても思えない城なのです。
もし敵が襲ってきたら?反逆できないであろうと大方予想することでしょう。

カステル・デル・モンテ 内部
言われているのは、フェデリコ2世は鷹狩りが趣味で、そのための場所として建てられたのではないかということ。当時としては非常に珍しい趣味のための城。
フェデリコ2世の死後、15世紀半ばに、一帯を支配していたアンジュー家に城の支配権を奪われ、フェデリコ2世の孫達を20年幽閉。その後、次第に城は忘れ去られ、装飾品は盗まれ荒廃し、山賊の住処になっていた時期もあったとのこと。

カステル・デル・モンテ 内部の壁と柱
時は過ぎ、1876年にイタリア国家が買い取り、荒れ果てた城を修復をし、1936年に重要文化財に指定。その後1996年に世界遺産登録となったのでした。
孤高の城は、フェデリコ2世の「趣味」と「もてなし」のためとも言われる、
世界でも稀有な存在の城。
建てられた意味も未だ解明されておらず、「8」という数に謎を感じさせる。
一時は世から忘れ去られるも、再び光が当たった城。
プーリアの平原に威厳を放ち、
存在し続ける「カステル・デル・モンテ」を訪れてみませんか。

Castel del Monte
「カステル・デル・モンテ」基本情報
住所: Andria, Puglia, Italia(プーリア州アンドリア市郊外)
4月1日-9月30日 10:15-19:45(切符売り場終了19:15)、
http://www.casteldelmonte.beniculturali.it/index.php?en/1/home
Castel del monte
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